NPO依存学推進協議会 シンポジウムに登壇:学者先生からの5つの鋭い突っ込み


先週末、依存学という新しい学問分野にチャレンジされているNPOにて開催されたシンポジウムで登壇の場を頂きました。題して「ゲームの明と暗」 ~ゲーミフィケーションを通じて依存学を考える~ です。詳細はこちら。依存学という分野の存在は、このイベントにお声掛け頂くまで知らなかったのですが、賭け事やオンラインゲームなど主に快楽を伴うような報酬を大量に受け取ることでその状態から抜けられなくなるというような意味での依存を取り扱う学問分野のようです。NPOに関わっていらっしゃる方々も大学の先生が主体で、経済学部の准教授、医学部精神医学の教授など分野も様々です。またカジノにも非常に造詣の深い方々もいらっしゃいました。

どちらかというと全体的にゲームの「暗」の部分にフォーカスを当てる場のようなので、ゲーミフィケーションも暗な部分に対する突っ込みが多いのかとドキドキしていったのですが、やはりパネルディスカッションでは鋭い質問を色々と頂きました。

  1. (Nike+の例など)風邪をひいたら走らないほうがいいと思うがああした仕掛けがあると無理にでも走ってしまうのではないか?
  2. 何でも楽しくやればいいというものでもないという考え方もある。イヤイヤやるからこそ意味があるというものもあるのではないか?
  3. 何にでもゲーム性をもたせるとそのうち飽きてくるのではないか?
  4. 「レアアイテム」を設けるなど商業的にはあこぎ過ぎる面があるのではないか?
  5. 利用者データの収集及び活用とプライバシーの侵害は紙一重ではないか?

などなどです。特に「依存」を取り扱ってこられていることもあって悪い意味でハマらせないようにすることへのセーフガードを意識された問いはこれまでなかった突っ込みで、新鮮でした。その場で答えきれなかったところもあるのでこちらで補足をしておきます。

1.無理に走らないようにするためには?

冒頭に頂いた質問だったのですがのっけから回答に詰まってしまいました。そういうセーフガード的な考え方は今のゲーミフィケーションの中にはほとんど組み込まれてないといっていいというのが正直なところかと思います。やりすぎていることを検知することが出来ればベストなのですが(TVゲームでも中には「そろそろ休憩を入れましょう」と出るものがありますね)、例えばNike+の場合に利用者が体調を崩していることを事前に検知することは事実上無理といえるでしょう。ソーシャル性の中で「今日はお前風を引いてるはずだからやめておけ」と言えるかもしれませんが、あくまで友人の自発的な忠告であって仕組みとして回避できるわけではありません。なかなか難しい問題です。

無理に走ってしまう人というのは基本的に上級者、高いレベルでプレイしている人たちと言えると思います。無理に走る状況ができてしまうということは、本来の「健康になりたい」「いいランナーになりたい」といった利用動機から外れてでも継続する動機づけが働いているということかと思います。想定されることとしては自分の記録にチャレンジしている、競争相手に負けたくない、チームプレイで周りの仲間に迷惑を掛けたくない、といったようなことでしょうか。オンラインゲームでもチームプレイにハマると抜けられなくなるということは見られる現象ですのでこうしたことは確かに起こり得ることですね。

やはりゲーミフィケーションのデザインとして、極度にやらなければならなくなるような状況を生み出すような仕掛けは用いない、というのが予防策としてはいいということになると思います。内容にもよるかと思いますので例えば英語の勉強が対象であればそこまで極端な悪影響というのは考えにくいですが、走るなど体を使うようなことであれば酷使することが悪影響につながることが考えられます。対象とする内容によってそこを注意しましょう、というほかないかもしれません。

2.イヤイヤやるから意味がある?

「イヤイヤやる」ことの意味というのは「インセンティブがなくても自発的にやり続けることが重要」ということと言っていいと思います。ここ、当日ちょっと触れ切れなかったのですがイヤイヤやらなければいけないことって本当はそんなに無いのではないかと思っています。例えば勉強にしても入り方を柔らかくすることで成功しているすららネットのような事例があります。Nike+もある意味三日坊主になりがちなジョギングという行為を長続きすることを支援するためのサービスです。やりたくないけどやらなきゃいけないことが「イヤイヤやる」ことの対象とすれば、ゲーミフィケーションによって少しでもそれが長続きしたり楽しめる要素が加わることは基本的にはいいことだと思います。

ご意見の意図を取り違えているかもしれませんが、「イヤイヤやる意味」というのはそれほどないのではないかと思います。

3.そのうち飽きる?

これは比較的FAQですね。質問の文脈としては「そのうちいたるところにゲーミフィケーションが見られるようになると目新しさがなくなって飽きるのではないか」というものでした。

飽きてしまうのはクソゲーミフィケーションだからです、と言ってしまえば身も蓋もありませんがゲーム性の目新しさやエンターテイメント性で継続性を高めるというのは本来のゲーミフィケーションの使い方としてはあまりよくありません。利用者の本来の動機に根付いたゲーミフィケーションが施されていれば飽きるという現象は本来的に起きないはずです。飽きることがあるとすると、利用者がその本来の動機に価値を見いだせなくなってしまったということになりますのでそれはゲーミフィケーションがカバーできることでもありません。

Nike+に飽きちゃった、というのはそのゲーム性に飽きたのか走ることに飽きたのか?というのと同じお話ですね。あくまでNike+というのはジョギングを続けることをサポートするためのサービスですのでジョギングそのものに飽きたことに対して何もできることはありません。逆に言えばジョギングには飽きてないがNike+には飽きた、ということがあるとするとそれは運用上のミスですね。上級者レベルの人にうまくアプローチするだけの要素を用意できていないか、途中でのゲームバランスが崩れているか。いずれにしてもゲーミフィケーションのデザインの問題です。

目新しいことにゲーミフィケーションの価値があるわけではない、という点がポイントだと思います。

4.商業的にあこぎ過ぎる?

これもゲーミフィケーションのデザインの問題ですね。ゲーミフィケーションはやはり「道具」であり「手法」ですので、それをどう使うのかはサービス提供者に委ねられます。あこぎに過ぎるようなゲーミフィケーションデザインは可能ですが、それをやりすぎてしまうと中長期的には関係性が築けなくなってしまうでしょう。基本的には長い関係性を築くというマインドを持ってゲーミフィケーションという道具を使うことを僕自身は強調しています。「おもてなし」の精神ですね。

5.プライバシーの侵害?

データをひたすら取ってその人にマッチした情報を出すというのは気持ち悪い、プライバシー侵害を強く感じるというご指摘でした。これも難しい問題で、逆にその線引きがどこにあるのかは精神医学的あるいは心理学的に見解があるのかは伺ってみたい所です(後で聞いてみよう)。例えばリッツカールトンに関する書籍を読んでいてよく出てくるのが「なんで私がそれを好きだということがわかったのか」という驚きの体験談です。出てくる料理が実は自分の好みであったり、部屋のしつらえが予め自分の好きなように整えられていたりといった経験をしたお客さんの話が出てきます。リッツカールトンでは従業員があらゆる局面で顧客情報を収集し、一元管理して共有できる仕組みを整えているそうですが、これはプライバシーの侵害なのか、心地良いおもてなしなのか。祇園お茶屋さんでも同じようなことは行われています。

大前提としてこうしたホテルやお茶屋さんでは厳格にプライバシー情報を取り扱っていて、決して外には出さないということが徹底されています。たとえ家族からの質問でも答えない、というくらい厳格だそうです。また、プライバシー情報が確実に自分にとっていいように使われておりそれ以外の用途では使われていないことに確信が持てること。これも重要だと思います。こうした信頼関係があるからこそプライバシーの侵害を感じることなくむしろ「自分のことをわかってくれている」という感覚になるのだと思います。

ここでも「おもてなし」のマインドがあるかどうかが根本的な差異を生んでいるように思います。それなくしてはプライバシーの侵害になる恐れが大きいでしょう。ここは仕組みや手法というよりはこころ、気持ちの問題な気がします。僕が「おもてなし」を強調する理由の1つです。

 

ざっとですが、5つの質問について答えきれなかった点を補足しました。かなり当日は刺激的で面白い場でした。またこうした機会あれば是非参加したいと思いますので是非お声掛け下さい。