gamification summit直後、1/24のGoogle Tech Talkにて“Meaningful Play: Getting Gamification Right”というタイトルでのプレゼンテーションが開催されている。
プレゼンをしたのはSebastian Deterding氏。ハンブルグ大学の博士課程にいる、ユーザエクスペリエンス分野の研究をしている人のようだ。このGoogle Tech Talkではサミット開催者のGabe Zichermann ゲイブ・ジッチャーマン氏も講演をしたことがある。
セバスチャン・ディターディン氏はgamification summitにも参加していたようで、この講演でもどうやらそれを踏まえているような内容になっていたが、サミットで疑問符が付いていたような「本当に効果があるのか」「ゲームデザインに依存するのでは」というような点について一歩踏み込んだプレゼンになっていたのでこちらでも紹介しようと思う。なお、プレゼン資料は下記。
冒頭で、サミットでもよく事例として挙げられていたフォースクエアを始め、USAToday、Nike+などにも触れつつ、「単にバッジ、ミッション、といった要素を入れるだけではダメだ」と主張する。gamificationが有効に機能するには忘れてはいけない3つの要素がある、というのがこのプレゼンでのメインの主張である。その3つの要素とは、
- 意味の持たせ方
- 上達感・達成感の作り方
- 自発性の作り方
■1.意味の持たせ方
フォースクエアの事例はgamification系の話の中ではもっとも頻繁に紹介されているが、必ずしもこのプレゼンおいては肯定的に捉えていない。つまり、「フォースクエアやっても結局なんにもならないやないか」ということである。エンタメなんやからそんな意味を求めなくても、とも思ったがどうも聞いているとそれだけではないらしい。
「意味の持たせ方」には3つのgambitがあるという。
- 個人の目標とのリンク
- 参加意義の感じられるコミュニティの存在
- ストーリー性
関係ないけど、gambitってこんな使い方するんやね。辞書を引くと「作戦・策略」というような意味だとのこと。ガンビットと言えば自分の中ではFF12。あの戦闘システムは良く出来てた。13がしょぼくなって、なんで継承されなかったんやろうと個人的には残念。
さて、1と3はなんとなくわかるのだが、興味深かったのは2である。英語のままだと”meaningful community”。競争や自慢の要素のニュアンスと、そのコミュニティメンバーから認められると嬉しい、というような種類のコミュニティかどうかという点を強調していた点が面白い。もらったバッジが嬉しいかどうか?ということだ。
これは確かに理解できる。サミットの事例でもニュースサイトへの導入がいくつか紹介されていたのだが、果たしてニュースサイトでバッジをもらって嬉しいかどうか。そもそもコミュニティが成立しているのかどうか。コミュニティ的なものがあったとして、意義のある何かを共有していると思えるコミュニティなのかどうか。
ここでいう「意義」とはそういうことで考えると、必ずしもお堅い何かである必要はなさそうだ。ソーシャルゲームでの競争・順位といったことでも十分「意義」になり得る。趣味が共通していたり、共通のゴールを目指していたり、というようなことで考えておくと良さそうだ。
ここでの主張だが、「じゃあバッジは意味はないのか」という主張ではないことには注意しておきたい。意義のあるコミュニティの存在、というのはそのゲーム・サービスへの参加が長持ちするかどうか、という観点で捉えるのが正しいだろう。バッジの存在は、次の「上達感・達成感」とも関連するが、小目標の達成とそれに対しての報酬という観点でも捉えることが出来、それはそれでユーザのモチベーションを維持させる上で有効に働くためだ。最初の入り口を設計する上ではバッジを有効に活用することは重要だが、それだけに頼っていると長持ちするサービスは作れませんよ、というのがここで最も重要なポイントだろう。
■2.上達感・達成感の作り方
「上達感」ってちょっとわかりにくい表現かもしれない。プレゼンでは「Mastery」と表現されている。何かをマスターしていくようなニュアンスなのだが、ゲームを面白いと感じる重要な要素と言える。面白いゲームは、難易度のバランスが良く出来ている。あまり慣れていない場合にはそれなりに簡単に、熟達してくるとだんだん難しく、というのが基本だ。
例えばアクションゲームであれば、上達感を感じる前に小さなステージがたくさん用意されており、1つ1つそれをクリアしていくことでまずは小さな達成感を感じつつ、徐々に上達していくことで、ある時大きな達成感を感じることが出来るようになっている。
これ、言うのは簡単、作るのは難しい、という典型な感じである。彼の主張もまさにそういうことが言いたいのであろう。ここでも、例によってそのためのgambitが紹介されている。
- ゴールが明確に、目に見える形で示されていること
- 小ゴールの達成が大ゴールの達成につながるように設計されていること
- スキルの上達に伴って難易度も「いい感じに」上がっていくこと
- 難易度が上がるペースがうまくバラけていること
- 設定されるゴールが、単なる同じことの繰り返しではないこと
- ユーザへの(特に達成時の)フィードバックが過剰なくらい演出されていること
といったことだ。
1、2、3、4あたりはサミット2日目でも大体似たようなこととして取り上げられており、チクセントミハイのフロー理論と紐付けて説明している点も基本的には同じである。ポイントは5にありそうだ。
ただ、この前のトピックであった「意味の持たせ方」と「上達感」は関連性が非常に強い。上達感があるということ自体がユーザにとって意味のあることにつながり、逆に意味のあることでないと上達しようとそもそも思わない、というループがある。通常のTVゲームの場合であれば、「意味」とはゲーム自体が楽しいことを意味し、プレイすること自体がすなわち上達につながるのでそういうループを意識することはあまりない。ゲーム以外の領域でこれを考える際には「意味」するところが様々にあり得る。「上達感」も同様だ。
例えばコマースなんかの場合では何が「上達感」になるのだろうか?「意味」とは何を指すのか?
単純に「欲しいものを買う」という行為自体を意味としてしまうとその領域における上達感を設計することが非常に考えにくくなってしまう。そのサービスの利用者にとって、参加意義の感じられるコミュニティとはどのようなものなのか?そのサービスにおける「上達感」を感じられる要素とは何なのか?単に「50回買い物しました」ということではなさそうだ。
今回のプレゼンにおいて、一番気付きになったのはこの部分かもしれない。逆に言えば、上達感をうまく感じられるような要素を見つけられれば、それを核にしたコミュニティは自然に作れるだろう。
■3.自発性の作り方
こちらはサミットでもよく強調されていた点である。ゲームがなぜ楽しいのか、と言えば自分の意思でコントロールし、自分の意思で決定しているからであろう。外的な報酬を目当てにしていないからこそ楽しいと言える。
ここでのガンビットは、
- (現実世界での)結果を紐付かせないこと
- 目標が共有されており、個々人が何をすべきか明確であること
- フィードバックのされ方に意図がないこと(純粋な情報・データのみであること)
- 予期しない報酬があること
とのことである。「自発性」とは非常にナイーブな概念だ。何が自発性を崩すことになるのかということについて、常識と反するような研究結果もある。金銭的報酬があること自体が自発性を崩し、創造性を失わせるというようなものだ。
この点への踏み込みは、サミットではあまりされていなかったように思う。特に1,3,4については注目すべき視点だ。コントロールされているような感覚を持ってしまえば、そこで自発性は失われてしまう。(外発性のある)報酬は予期しないタイミングで与えるべきで、ユーザ自身がその報酬を得るためにプレイしたんだという感覚を「持たない」ようにすることが重要だ、ということである。
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3つの要素は以上のように説明される。サミットでの内容とはまた異なる視点があり、それぞれ興味深い。「ゲームがなぜユーザをひきつけるのか」という点は、掘り下げていくと「人間はなぜ楽しさを感じるのか」ということにつながっていき、非常に奥が深い。gamificationがユーザロイヤリティの向上を意図するものである以上、そこにどれだけ深い洞察を持てるのか、が成功のキモになる。
◆まとめ◆
さて、まとめに入ろう。gamification.jpでも何度か紹介しているが、この領域には既に数社のgamificationベンダーが存在している。しかし重要なのは、ここで説明しているように、ベンダーがどんな機能を提供しているかではなく、どのようにデザインするのか、ということに尽きる。まとめのところで紹介されているガンビットは以下の4つ。
- ユーザを知れ
- ゲームのルールが重要だ
- プロトタイプを作り、テストプレイをし、修正を繰り返せ
- データを分析しろ
意図的にというべきか、ユーザを知れというのはAmyと同じフレーズである。「ルールが重要」というのは面白い視点だ。ここで言うルールとは、文字通りゲームを遊ぶためのルールのことだ。ルールとゴールのデザインがゲームデザインの基礎になる、ということである。テストプレイについては言うまでもないが、Web系のサービスの場合はどこでリリースするかの基準は緩く考えることになるだろう。データを分析しそこから正解を見つけに行くということが出来るのはWebの強みである。この改善のスピードをいかに上げられるか、ソーシャルゲームが圧倒的に受け入れられた要因としてもこれは挙げられるだろう。
さて、だいぶ長くなったが、本動画のレビューはこれで終了である。全体で50分、中身の濃いプレゼンだった。こういう、アカデミック寄りなスピーカーの出番が多いのは日本ではあまり見られない、英語圏でのカンファレンス・イベントの特徴な気がする。日本ではそういう種類の人はあまりいないのだろうか?ともあれ、また気になった動画があれば随時レビューはいれていこう。